身体は動き、心は止まる。
人間の意識の介入って、意外とやっかいだったりします。
例えば、片脚立ち。
普段、何気なく立つ時に、多分軸足の方に意識を向けると思うのですが、
この時脳みそでは
脳みそ太郎「やばい、少しぐらつく。足の裏の調節お願い!」
脳みそ花子「え、そんな言われたって膝の様子だっておかしいわよ!」
脳みそ太郎「あ、そんなこと言っている間に胴体も崩れて来た!」
脳みそ花子「いや、こんなの無理〜!」
となって、片脚立ちがくずれてしまうんですね。
人の身体はちょうど良く動作を行ってくれます。
そもそも、意識しなくたって立っているわけです。
ので、片脚立ちという状態も例外ではありません。
この場合は、もう片方の脚(出来れば足の指先か靴)に意識を置いておくと、片脚立ちが驚く程安定します。
それは、心がそこに(足の指先か靴)止まっているから、無駄な介入をしてこない為でもあるかと思っています。
人は、動き、日常の活動を行っています。
しかし、ここに無駄な心の介入が入ってしまうと、
無駄な感情の介入が入ってしまいます。
この前、後輩とご飯に行った時に面白い事が聞けて。
後輩の知り合いのAさんが、海外へあまり行きたくないんだけど行く事になったそうで。
そしたら、行きたくない気持ちが表れたのか、羽田と成田を間違えて結局乗れなかったそうで。
確かに悲しかったけど、Aさんは
「いや、でも、これは空港を間違え、乗り遅れたという事実と、またチケットを買うという状況があるだけ。この出来事を繋いでいるのは私の感情である。」
と思ったそうです。
私たちが普段する行動には、特に意味は無いのだと思います。それを意味付けたりしているのは私たちの感情。
それがネガティヴなものだと、心や身体に染み付き、トラウマとなって身体に残ってしまうのだなと、何か少しまた繋がったような気がします。
身体は動かすけど、心は動かさない。
ここに、シンプルに淡々と生きるコツが、隠れているのかもしれません。