サーモンのおすし

日々の雑記や、ブログを運営していく中で気づいた事を記載していきます。

どこでもないところに立つと、どこにでも行けるようになる。

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吉祥寺の沖縄料理屋さんに来ています。その土地の料理を食べるとその土地のことを思い、足を運びたくなるのは私だけでしょうか。


フットワークの軽さはなかなかのものだと思っているので(数年前は重かった時期があったけど)重心の話しと共に、私達はどこでも行けるんだということを書いておきたいと思います。

1.重心の理想は、どこでもないところに立つことである


私達は2足の足で大地に立って、様々な活動をしています。その足の重心というのは、踵でも爪先でもない、内側でも外側でもない、ニュートラルという表現にもなるでしょうが、どこでもないところで立つ、というのが足裏の感覚になります。

踵はその漢字の通り、【足の重り】です。そこに重心があると(大抵の方はここに重心がありますが)運動は後ろ向きに発生してしまい、それをニュートラルに戻す、そこから運動したい方向へと運動を発生させるという"パワー"が必要になります。

2.理想の重心で立てた場合、その重心は円を描く。


どこでもないところに立てた場合、足圧計や重心を計る機械などを用いて計測すると、私たちの重心はクルクルと小さな円を描くそうです。

点に定まることなく、円で動いている。どこでもないところに立つと言う事は、言い換えると、どこにでも行けるということになります。

3.点で定まることが執着を生む


人の悩みの大半は、比較と執着と言います。執着から抜け出すには、環境を自らガラッと変える、人生の転機となるくらいの大きな出来事が起こるなど、どちらにしろ大きなエネルギーが必要になります。

執着とは、何か一つに定まっている状態です。この世界の一つの摂理として、変わらないものは何もないということがあります。自然も、人体も、一つとして同じ状態の時はありません。そこに固着していては、新しい瞬間を迎えることが出来なくなってしまいます。人体で言えば、流れの滞りにより、様々な症状が表れてきます。


4.どこにでも行けるというエネルギーが大切だということ。


人は、変化を怖れます。そして、変化しない現状を嘆きます。重心の位置のように、実は私達はどこにも居なくて、どこにでも行けるんだということが分かった瞬間、軽い気持ちや軽いエネルギーでその一歩を踏み出すことが出来ます。
踵に体重があると必要なエネルギーが増すように、どこか一点に執着してる場合には、相当量のエネルギーが必要になります。


私たちの人生は、ただ生きて、ただ死んでいくだけです。

変化に執着せず、どこにも居なくて、どこにでも行ける。

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明日死んでも大丈夫!



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