日常と非日常の間で心身のバランスを取るという方法を選択する。
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最近は自然を求めているのか、公園で休むことが多くなりました。
僕は仕事の都合により、
1.日常と非日常の違いは何か。
身体のどこかしらに痛みや不安を抱えている方と接する機会が多いのですが
面白いことにそういう方って
旅行の間は平気なのよね〜
とか
踊ってる時はなんともないんだよなあ〜
とかいうわけです。
これ、つまり
身体も非日常によって解放される
と言い換えられるのでは無いかと思ったので、それについて書き残しておきたいと思います。
1.日常と非日常の違いは何か。
これには色々と意見があるかと思うのですが私は、自分の先日の記事 《 本当に今を生きる時、それは誰の為でもない、自分自身の為になる。 - こんたく 》の所から言うと、"今この瞬間しか考えられない状況である"ということなのかなあと思います。
2.日常の中に存在するのは慣れというモノである。
日常は"慣れ"により、色々と考えながら出来てしまいます。
今日は嫌なことあったな〜
今日はなんだか便の出が悪いわ〜
あの佐川のお兄さんイケメンだったわ〜
非日常というのは、その時に集中せざるをえない状態だと思うんです。
なぜなら、慣れてないことだから。
で、しかも、経験したこともない事がほとんどだと思います、非日常って。
だから、楽しいんですよね。
ワクワクドキドキするんですよね。
ワクドキデイズなわけですよ。
で、帰ってきたら慣れてる生活なので、身体を動かしながらも色々"考えられる"状態なんですよね。
結局それがネガティヴなことだったら、身体にダメージとして蓄積してしまうわけです。
健康阻害の一番の原因は食べ物とか習慣というよりも、ストレスだと言われています。
そのストレスを溜めてしまうような日常での自分の選択が鍵となるんだなと感じました。
3.適度に非日常を経験することで、心身の元気を取り戻せる
ここで感じたのは、うまく心身のコントロールというか、一言で言うと元気な人って、この非日常の使い方が上手いな、って思います。
いわゆる
自分だけのとっておきの時間や空間がある
ということですね。
もちろん、何気ない日常の中で細心の注意を払えばいいのかもしれませんが、やはり人間はいろんな刺激があるので、その影響下では、コントロールが難しくなる気がします。
そして何よりも怖いのは、その日常にうずまってしまうと、非日常に行けなくなってしまうこと。
日常が当たり前になってしまうこと。
※当たり前の中に小さな幸せもたくさんあります。
この日常で、不安や(無駄な)自尊心から、人間関係や、自分との関係が上手く行かなくなると
心身の不調としてメッセージが来るわけです。
色んな健康法が溢れていて
一応身体を通した『それ』を提案している僕が言うのもなんですけど、
お客様には言ってますが
自分の取り扱い説明書、作りましょ。って。
いつの間にか、私の表現で言うと、渇いた人、渇いた人生になってしまい、
他の人の潤いを奪うことが無いよう
自分に潤いを与えられるよう
そんな説明書。
それは、毎日の積み重ねでしか分からないことだと思います。だからこそ、何気ない日常の微妙な変化を嫌がるとか、治そうとか、排除しようとか言うのではなく、静観してみる。説明書に書いてみる。そうするだけで、何か一歩、"生きる糧"になるのではないかと、周りの窮屈そうな人を見ていて感じました。
明日死んでも大丈夫!