サーモンのおすし

日々の雑記や、ブログを運営していく中で気づいた事を記載していきます。

武士道とは死ぬことと見付けたり。葉隠に読む「修行の極意」とは。

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武士道とは、死ぬことと見つけたり。

これは、葉隠という、武士道について書いた本の一節です。筆者はこの本が大好きなんです。
「朝毎に懈怠なく死して置くべし(聞書第11)」とするなど、常に己の生死にかかわらず、正しい決断をせよと武士道の思想を色々な形で説いています。

、江戸時代中期(1716年ごろ)に出された書物。
肥前国佐賀鍋島藩藩士・山本常朝の武士としての心得についての見解を「武士道」という用語で説明した言葉を田代陣基(つらもと)が筆録した記録である。全11巻。
Wikipediaより

この葉隠の中で、「修行について」という項目があり、それは現代の私たちが何か物事を学んでいく中でも大切なことが書いてあったので紹介したいと思います。

未完のまま終わるのが修行。

修行の初期の段階を葉隠ではこう記しています。

ものにならず、自分でも下手と思い、人を下手と思う。まだ用に立たない。

物事を体得しようとした時に、最初はみんなここからのスタートです。
もう話にならない。そういうレベル。初心者と言ったところでしょうか。

さて、少しレベルが上がってくると次の段階になります。

まだ用には立たないが、自分の下手さも他人の不十分さも分かるようになる。

少しレベルが上がってくると、「どこが下手だ」というのが自分に対しても、他人に対しても見えるようになってきます。
そこから自分のレベルを上げるよう努力していくと中上級者くらいのレベルになっていきます。それが次です。

中上級者は他人の不十分さを嘆く

すべてを会得して、自慢もできるし、人が褒めるのを喜び、他人の不十分さを嘆く。

これが葉隠では「上の段」と言われる修行のレベルです。その物事についてすべてを会得した段階です。
この段階では用に立つほどの腕がある状態です。だから人に喜んでもらえるようなレベルなのでしょう。
その褒めてもらえるのを喜び、一方で他人の不十分さを嘆く。

この「嘆く」のが無くなってくると「上の上」というレベルになります。

知らん顔をしている。人も上手だと見ることが出来る。大体の者がここまで。

他人の「欠点」ではなくて、「長所」を見ることが出来るようになってきます。嘆いたり指摘することなしに、知らん顔していることが特徴です。

そしてこの上の段階が最高位の段階であり、私たちが物事を成し遂げたり、会得するのに目指すべきところです。

 

人に勝つ道知らず、我に勝つ道知り得たり。

言うに言えない境地が広がっている。
その道は、深く入れば入るほど、ついに果てしもない無限の道だとわかって、これでよしと思うこともなくなる。
自分の不十分さがよくわかっていて、一生、これで完成したという思いもなくなり、
自慢心も起こさず、卑下する心もなく、進んで行く道。
”人に勝つ道知らず、我に勝つ道知り得たり。”

そして葉隠ではこう締めています。

今日は昨日より上手になり
明日は今日より上手になると言うようにして 一生、日々仕上げることが道であり
これは果てもない世界である。

1日1歩。その大切さは、過去も現在も変わらないということなんですね。

葉隠について詳しく見たい方はこちら。

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