サーモンのおすし

日々の雑記や、ブログを運営していく中で気づいた事を記載していきます。

「楽しければオッケーです」というのに違和感を感じた話。

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ある時偶然に、何かの会話のやりとりで、

「楽しければオッケーです」ということを相手の方が言って

今までは自分もその考えだったはずなのに、

なぜかその時初めてその言葉に違和感を覚えました。

なんでそんなことを感じたのだろうと考えていくうちに

いくつか考えが浮かんで来たので忘れないようにまとめておきたいと思います。

1.現代の人は”楽しくない”から怒るのでは無いか。

 この違和感の後、都心に出る機会があって電車に乗って行ったのですが、その帰りに、ちょっと触れられたくらいで怒っている方がいたんですね。二人とも40代って感じでしたけど。

なんでこれくらいで?って思うような事なんですけど、まあ今目の前では喧嘩が繰り広げられているわけなので事実なんですね。で、なんでこんな風に怒ってしまうのかということを考えていたら、怒った人の方は楽しくないから怒ったのではないかと思いました。当たり前といえば当たり前なんでしょうけど。

現代人は(特に都会に住んでいる人は)楽しいという基準が高い、もしくは非常に物質的であるために、すぐにイラッとしてしまうのではないかと。これが私の生まれ故郷のような田舎だったら、怒るのはヤンキーの兄ちゃんだけです。なのに良いオトナがこちら都心ではまあ怒る怒る。エネルギーも有り余ってるんでしょうね。

楽しい事がしたい!っていうのが、すごく現代では物質的なんだなと最近気づきました。すると、外の世界での変化に対して私たちは「楽しい」とか「悲しい」とか「ムカつく」という感情を感じるわけです。人生って、物質的なものでは無いはずなのに。

 

2.人生は悲哀で満ちている

 最近読んだ本ですごく良い本がありました。執行草尽さんの『根源へ』という本です。

 

根源へ

根源へ

 

 この中でのフレーズ、「人生は悲哀と涙で出来ている」というのが今でも心に焼き付いていて、私の生きる力にもなっています。

 人生は悲哀で出来ています。完全で安心な時は母親の胎内に居る時です。私たちはこの世に飛び出してきた時、泣き喚きます。そこに楽しいという表情は全くありません。そこが原点です。

 私が「楽しければオッケーです」という言葉に違和感を感じたのは、この言葉が「悲哀」や「涙」を全く無視というか、排斥しようとしていたからなのだと思います。 そしてこの楽しいというのが物質的な楽しさに由来するからというのも理由になるでしょう。

 私自身、楽しいと感じるのは自己の成長が感じられた時です。それ以外の楽しさは嘘だと思っています。なぜならそれ以外の楽しさは一瞬で過ぎ去るからです。自己の成長は断続的に続きます。その楽しさを私は日々求めているから、この言葉にこもった意に対し、違和感を覚えました。

 自己の成長には涙が伴います。それは、その成長の為に何かを捨てなければいけないからです。その”何か”は人それぞれだと思いますが、目的とする成長の為、何かを捨てていかなければそのゴールには辿り着けません。まさに涙の作業です。

 ですが、現代にはこのタイトルの「楽しい」に込められた物質的なものが蔓延しています。その終焉は”文明の崩壊”であると、執行さんも著書で指摘しています。

3.楽しいを平等に求めてしまうと、文明が崩れていってしまう可能性もある。

 「文明の崩壊は、言葉から始まる」と著書の中では指摘がありました。言葉は言霊と言われるように、魂がこもっています。特に日本語というのは特殊な言語だと私は思います。一つの抽象的なものに対して、表現が数多く存在するのは、日本語の特殊性を表しているのでしょう。そしてその特殊性の中に日本人の情感というものの存在がありました。言葉の崩壊、つまり言葉を簡略化していってしまうと、その情感が失われてしまいます。

 確かに、私の小さいころと今とでは、言葉の簡略化が随分と進んだなと感じます。

 例えば、「青」という色があります。

 小さいころ、私は、

 「あれは空色」

 「あれは群青色」

 「あれは藍色

 「あれは瑠璃色」

などなど、青色ひとつとっても分けて教えられましたし、私自身も覚えたりしていました。(だからこの記事でも書くことができるのだと思います。)

しかし、現代は「青色」「水色」そんな程度の色分けしか聞きません。

簡略化は、非常に便利です。しかし、簡略化は、非常に豊かな日本人独特の情感を失う可能性を秘めています。

言葉が簡略化することで、精神もどんどん簡略化してしまうことでしょう。だから単細胞生物の様に怒る人が増える。「楽しくない=怒る」というシンプルな方程式が出来てしまう。

私自身も言葉の簡略化というのは気をつけているつもりですが、簡単な言葉を口にしてしまう事があります。

日本人に生まれた事を誇りに、執行さんの言う「垂直の人」に近づける様、日々自己の成長を楽しめる、そんな人間で在ろうと思います。物質的な”楽しい”は要りません。

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